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大阪高等裁判所 昭和43年(う)1649号 判決 1969年5月20日

被告人 小関肇

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中二四〇日を右本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事大江兵馬作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人吉田一枝作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一(訴訟手続の法令違反)について

論旨は要するに、原審は、検察官が取調請求をした証拠のうち、被告人の検察官に対する供述調書三通について、供述の任意性に疑があるとしてその取調請求を却下し、それに対する検察官の異議申立をも棄却し、その他の証拠のみによつて事実を認定したが、右供述調書には何等任意性を疑うべき事由はなく、原審の右措置は刑事訴訟法三二二条一項、三一九条一項の解釈適用を誤つたもので、訴訟手続の法令違反がある、というのである。

そこで記録を精査するのに、原審第一回公判において、検察官から被告人の司法警察職員に対する供述調書五通(うち一通は自首調書)、同人の検察官に対する供述調書三通の取調請求をしたところ、第七回公判において、右検察官に対する供述調書三通について任意性に疑があるとの理由により取調請求が却下され、これに対する異議申立も棄却されたことは所論のとおりである。

そこでまず、被告人が警察、検察庁において取調べられた経過、供述内容について検討するのに、被告人は犯行直後の昭和四二年八月一八日午前〇時頃、港警察署へ自首し、司法警察員に対し、手拳で相手の頭部を何回も殴つたところ、同人がその場に倒れてのびてしまい、呼び起しても返事がないので死んだと思い、殺したことをわからないようにするため、その男をかついで難波津橋まで運び、橋の上から運河の中へ投げ捨てた旨供述したが(自首調書)、同月二二日の取調べでは司法巡査に対し、両手拳で顔面を四、五回殴ると、ひつくりかえり動かないようになり、目から口のあたりに血が流れているのを見て死んだのではないかと思い、一旦逃げかけたが、後で息を吹きかえすのではないかと考え、川へ投げ込み完全に殺そうと考えた旨供述して(同日付供述調書)、その内容が変つている。右供述の変遷について、被告人は原審公判廷において、二二日の取調べにおいても自首調書の内容と同様「殴つて死んだと思つた」と何度も云つたが、一向聞き入れてもらえなかつた。そこで検察庁ではありのまゝを述べるつもりで、一回目の取調べに入つたとき検察官に対し「死んでいたと思つていた」と供述したところ、「もし死んでいたら死体遺棄にもなつて大変なことになる」と云われたので、罪が重くなつては大変だ、できることなら少しでも助かりたいと考え、結局警察における八月二二日付供述調書と同じ内容の趣旨を述べたのであるが、無理な調べはなく、嘘を云わなければいかんという状況はなかつた、と述べている。この点について取調検察官である証人富村和光は、検察庁では三回にわたつて被告人を取調べたが、はじめ被告人の身の上話から聞いた、私は「死んだと思つて投げたのではないか」と尋ねたが、被告人は「生きていると思つて投げた」と何回も云つたし、また「殴つて一旦は死んだと思つて逃げたが、引きかえしてきて、まさか四、五回殴つた位で死にはせんだろう、息を吹きかえしてはいかんと思い川へ捨てた」と述べていた。二回目の取調べがすんだ以後、説教的に「こういうことをすると殺人だけでなく、死体遺棄にもなるんじやないか」と云つたが、被告人はそれを聞いて別に驚くということはなかつた、と供述している。右によると、検察官がその時期において多少の相違があるが、取調べに際し「こういうことをすると殺人だけでなく死体遺棄にもなる」という趣旨の発言をしたことは間違いないところである。

所論は、検察官の右発言は、被告人の真意を確かめるためのものであつて、被疑者をして虚偽の供述を誘発したものではない、というが、証人富村和光の供述のように、被告人が検察官の取調べにおいてはじめから「生きていると思つて投げた」と何回も云い、供述に変化がなかつたのであれば、取調べにあたり被告人に対し説教的に前記趣旨の発言をしなければならない必要は全く存在しないのであつて、検察官が取調べに際し説教的にそのような発言をしたということから推察すると、被告人が、検察庁では本当のことを云うつもりで「死んでいたと思つて投げた」と云つたところ、検察官から「もし死んでいたら死体遺棄にもなつて大変なことになる」と云われたので、罪が重くなつては大変だ、できることなら少しでも助かりたいと考え、「生きていると思つて投げた」と述べた、という被告人の公判廷における供述に相当の信用性があるのではないかとも考えられ、さらに、検察官の前記発言は、その主観的意図において偽計を用いて虚偽の供述を誘発しようとするものではなく、被告人の真意を確かめるための言葉であつたとしても、その内容、時期、被告人の法律知識、当時の心理状態(一般的に被疑者は自己の刑責がどうなるかについて非常な関心をもつている)等諸般の事情からすると、被告人の方で、本当のことを云つたために殺人罪のほかに死体遺棄罪が加わり、かえつて罪が重くなるのでは大変だ、少しでも助かりたい、と考えて虚偽の供述をしたのではないかとの疑がもたれるのであつて、以上の諸点を綜合すると、被告人の検察官に対する供述調書三通は、いずれも虚偽の自白を誘発するおそれのある状況のもとで作成されたものとして、任意性に疑があると認められるから、原審がこれについて同じ理由により検察官の取調請求を却下し、これに対する異議申立を棄却したことは相当であつて、何等所論のような違法はない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意第二(事実誤認)について

論旨は要するに、原判決は、殺人の公訴事実すなわち、昏倒した真島留吉をいつそのこと殺害しようと考え、運河に投げ込んで溺死させた、との事実に対し、被告人が殴打したことによつて頭部および顔面打撲傷ならびに脳震とうの傷害を負わせた点のみを認め、殺意を否定し、被告人は殴打によつて真島が死亡したものと誤信して、その犯跡を隠滅するため同人を水中に投棄したものと認めるのが相当であるとなし、被告人の司法巡査に対する八月二二日付供述調書は捜査官の理詰めの質問による自白であつて信憑性がない、と判断した。しかしながら、被告人の右供述調書は、任意性を欠くような取調べに基づくものではなく、また捜査官の理詰めの質問による自白というだけでは、任意性が否定されないのはもちろん、その供述の信憑性が減殺されるといゝ切れるものではないから、この意味において右供述調書は信憑性に欠けるところはなく、内容的にみてもその供述記載は詳細で、経験則に合致し真実の供述を録取したものであつて、本件の自首調書のように、重大事件を犯した犯人が自己の犯行を過少に評価して自己の立場を有利にし、虚実取り混ぜた供述をしたものではない。仮に真島が被告人の殴打によつて昏倒し一時失神状態に陥つたとしても、被告人が同人を難波津橋まで運搬するという刺激を与えたことによつて覚醒し、足を動かしたことから、被害者が生存していることを知つていたことが明らかであつて、原審が「脳震とうのため自主的運動が全く失われる時間は短かければ瞬間的、また長ければ十数分間であつたと考えられる」ことを前提とし、「右失神時間内に、右一連の行為が完了したことも十分考えられる」と判断したことは、著るしく片寄つた認定である。原審は右の二点について証拠の価値判断を誤り、採証法則に違背した結果、殺人の公訴事実を否定するという事実の誤認をきたしたものである、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査して考えるのに、本件公訴事実の要旨は、被告人が真島留吉の頭部、顔面を四、五回手拳で殴打し同人を昏倒させたが、このことが発覚するのをおそれ、いつそのこと同人を河へ投げ込んで殺害しようと考え、約二〇〇米離れた難波津橋まで連れて行き、高野堀運河に投げ込んで溺死させた、というのであり、被告人が右のような殴打暴行を加えたため同人が昏倒したこと、被告人が同人を難波津橋まで運び下の高野堀運河に投げ込んだこと、同人が間もなく多量の溺水の吸引により窒息死したことは証拠上明らかである。

ところで、被告人は前記一において認定したとおり、八月一八日付の自首調書では、手拳で相手の頭部を何回も殴つたところ、同人がその場に倒れてのびてしまい、呼び起しても返事がないので死んだと思い、殺したことをわからないようにするため、その男をかついで難波津橋まで行き、橋の上から下の運河へ投げ捨てた旨供述し、原審および当審公判廷においても同趣旨の供述をしているのであるが、他方八月二二日付供述調書では、両手拳で四、五回殴るとひつくりかえり動かないようになり、目から口のあたりに血が流れているのを見て死んだのではないかと思い、一旦逃げかけたが、後で息を吹きかえすのではないかと考え、川へ投げ込み完全に殺そうと考えた旨供述しているのであつて、これら相反する供述のいずれを信用するかによつて殺意の認定について結論を異にするので、以下この点について判断するのに、当裁判所も結局においては原判決と同様、被告人の八月二二日付供述調書の記載内容はにわかに信用することができず、他の証拠をもつてしても、真島を水中へ投棄する際その生存を認識していた、すなわち殺意のあつたことを認めるには不十分であると考えるのであつて、その理由については、左記の諸点を追加するほか、原判決が(殺人罪の成立を否定した理由)(1)ないし(5)において逐一説示するところと同一であるから、これらを引用する。

所論は、被告人の司法巡査に対する八月二二日付供述調書は十分信用できるものであつて、それが理詰めの質問による自白であるというだけでは、任意性はもちろん信憑性が失われるものではないという。なるほど理詰めの質問による自白であるからといつて直ちにその供述が任意性を欠き、信憑性が失われるものでないことは所論のとおりであるけれども、理詰めの質問による自白が任意性を欠き信憑性が失われるか否かは、具体的な事実に基づき各場合に強制があつたかどうかにより判断されるべきであつて、よし不合理な供述、矛盾した供述を訂正させるためであつたとしても、これがため理詰めの質問を追求的に行うことは強制にあたる場合が多いと考えられる。このような見地から本件の場合を考察するのに、被告人の司法巡査に対する八月二二日付供述調書が作成された当時の捜査状況について、被告人を取り調べた証人佐々木博は、最初八月一九日に被告人を取り調べたが、記憶がはつきりよみがえらないと云うので三〇分位で終つた。被告人はおとなしく、反省しているような態度だつたので無理に聞かず反省する機会を与えた。二一日から再び調べはじめ、運河に投棄するまでの事情を尋ね、二二日も取り調べたが供述が前日と変らないのでそのとおり録取し、二二日付の供述調書を作成した。被告人が真島を運河へ投棄するとき死んでいたと思うと強力に主張したことは記憶がない、と述べている。他方被告人は公判廷において、警察の調べのとき大声で調べられたことはあるが、乱暴されたり、おどかされたりしたことはない、同調書は読み聞けられたと思うし、署名押印したことは間違いない、と述べている反面、捜査官に対し、運河まで運ぶとき被害者は死んだと思つていたと何度も云つたが、「そのときはまだ生きていた筈だ」としつこく云われ、自分が述べたとおり書いてもらえなかつた。そこでどういう理由にせよどうせ人をあやめたのだから仕方がないと思い、やけくその気持で供述した。運ぶ途中被害者が足を動かしていたという点については、刑事さんが当時は生きていたんだから足ぐらい動かしておつただろうと云われ、そのような調書になつた、と述べているのであつて、いずれが真実かその断定に迷わざるをえないが、捜査官としては、鑑定により多量の溺水を吸引したことによる窒息の結果死亡したことが客観的に明白になつている以上、被告人の供述をできるだけそれに合せようと努めたであろうことは容易に考えられ、その結果、被告人が、理屈はどうであれ、自分の認識としては運ぶとき死んだと思つていた、と述べるのに満足せず、理詰めの質問を追求的に行なつた、すなわち強制にわたる取調べが行なわれたのではないかとの疑がもたれるのである。すると被告人の司法巡査に対する供述調書はよし任意性があるとしても、にわかに信用しえないものといわざるをえない。

所論はまた、殺傷等重大事件を犯した犯人が自己の犯行を過少に評価し、自己の立場を有利にするような供述をするのが一般であつて、本件自首調書もその例外ではない、と主張する。なるほど、およそ犯罪を犯した者が自己を防衛し刑責を免れるため犯行を否認し、あるいは刑責の軽減をはかるため犯行を過少評価したり正当化しようとするのは、人間自然の心情であるけれども、その反面、悔悟の念にかられて自白し、ことに自から進んで捜査官署に出頭し自首する者の多いことも事実であつて、このような自白は真実として十分信頼し得るものであることは今さらいうまでもないところである。本件の場合被告人は真島を運河へ投げ込んでおきながらその直後悪いことをしたと悔悟の念にかられ、自己の雇主の息子である中野信雄に対し「そこで人を殺してきた」、「相手を千舟橋の近くで川の中にほり込んだ」と述べ、同人に付添われて自首してでたものであり、自首調書においても前記のとおり、手拳で何度も殴打したところ、相手はその場に倒れてしまい呼んでも返事がないので死んだと思い、殺したことがわからないようにするため運河へ投げた、と供述しているのであつて、法律知識の乏しいと思われる被告人としては結果だけを考え、単純に自分の行為によつて相手を死亡させた、すなわち殺人を認めたもので、殺意を否認するとか、死の結果を惹起したことを争う態度は何等見せておらず、ことさら自己の犯行を過少評価し、刑責を免れようとしたものとは認められないから、この点についての所論も理由がない。

所論はさらに、仮に真島が被告人の殴打によつて昏倒し一時失神状態に陥つたとしても、同人を難波津橋まで運搬するという刺激を与えたことによつて覚醒し、足等を動かしたことから同人が生存していたことを知つていたことが明らかである、と主張する。なるほど松倉豊治作成の鑑定書および同人の公判廷における供述によると、真島の場合、失神により自主的行動がとれない時間は短かければ瞬間的、長ければ十数分間であり、痛み、寒暖、抱き上げ等の刺激を加えることによつて自然回復より早期に失神を回復させる可能性のあることが認められるけれども、右鑑定書等を精査しても、被告人が真島を抱き込み約二一〇米の間を運搬したことによつて、どの程度回復が早くなつたかは遂に不明であつて、運搬途中において自主的行動をとりえたと断定することはできず、もし真島が運搬される途中において失神を回復したのであれば、声をだすとか被告人に反抗する等の行動がみられる筈であつて、ことに運河に投げ込まれるときにはかなりの抵抗があつたと思われるが、被告人の八月二二日付供述調書によつてもその旨の供述はないから、この点の所論も理由がない。

以上の諸点を綜合すると、被告人が真島の生存を知り、あるいは生存しているかも知れないということを知りながら運河に投げ込んだとの点については、これを認めるに足りる証拠が十分でなく、むしろ被告人は自己の暴行により真島が昏倒して動かなくなつたのを死亡したものと誤信し、その犯跡を隠ぺいするために運河へ投げ込んだものと認めざるをえず、殺人罪の成立は認められないから、原判決には何等所論のような事実の誤認はない。論旨は採用できない。

三  控訴趣意第三(法令適用の誤)について

論旨は要するに、原判決は、被告人の殴打がその後の死体遺棄の犯意に基づく水中への投棄を誘発したもので、この両者が相合して溺死を導いたことを認めながら、殴打行為者が被害者が死亡したものと誤信して犯跡隠滅等の目的のため死体遺棄の故意で水中に投棄することは、社会通念上相当程度にありうるものとは到底いえないから、本件殴打行為と死の結果との間に刑法上の因果関係を肯定することはできないと判断し、傷害致死罪の成立をも否定した。しかしながら、本件のように、犯人が被害者に暴行、傷害を与えた結果被害者を仮死状態に陥らせ、これが死亡したものと誤信して遺棄等犯跡隠ぺいの行為をなし、よつて被害者を死に至すことは、自然的な通常ありうべきことであり、また結果的加重犯は故意行為と過失行為の競合から成立するもので、犯人自身による過失行為が競合して結果を発生せしめた場合因果関係を認めるのは当然であつて、被告人の真島に対する殴打行為と水中投棄に基づく溺水による死亡との間には、刑法上の因果関係を認めるのが相当であるから、本件については傷害致死罪の成立を認めるべきであるのに、原審がこれを認めなかつたのは刑法二〇五条の解釈適用を誤つたものである、というのである。

そこで考えるのに、およそ犯人が被害者に暴行を加え、重篤な傷害を与えた結果、被害者を仮死的状態に陥らせ、これが死亡したものと誤信して犯跡隠ぺいの目的で山林、砂中、水中等に遺棄し、よつて被害者を凍死、窒息死、溺死させるに至ることは、自然的な通常ありうべき経過であり、社会通念上相当程度ありうるものであつて、犯人の予想しえたであろうことが多いと考えられる。本件についても全くこれと同様であつて、その直接の死因は溺水吸引による窒息であるが、被告人が被害者を殴打昏倒させて失神状態に陥らせ、そのうえ失神した右被害者を死亡したものと誤信して水中に投棄し死亡させたものであるから、被告人の殴打暴行と死亡との間に刑法上因果の関係があることは明らかである。したがつて被告人の所為は単一の傷害致死罪を構成するものであつて、原判決が暴行と致死との間に因果関係がないとして傷害罪の成立のみを認め、かつ水中投棄行為を切り離し過失の有無、程度を審査して過失致死罪あるいは重過失致死罪の成否を問題にしようとするのは、刑法二〇五条一項の解釈適用を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。この点に関する論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年八月一七日夜わずかに酒気を帯びた状態で大阪市港区五条通一丁目一五番地住吉神社境内の公園に至り、同公園内のブランコに腰をかけて夕涼みをしていたところ、同日午後一〇時過頃、酒に酔つて被告人の隣りのブランコに腰をかけていた真島留吉(大正一〇年二月一日生)からしつこく話しかけられ折角の夕涼みを邪魔されたため、同人を残してブランコから立上がりその場から立ち去ろうとした際、右真島がなおも被告人を引きとめようとして被告人のシヤツを引つぱつたためシヤツが破れたことに激昂し、ブランコに腰かけている真島の頭部、顔面等を数回手拳で殴打して同人をその場に仰向けに昏倒させ、同人に頭部および顔面打撲傷ならびに脳震とうの傷害を負わせ、そのため同人が動かなくなつたので死亡したものと誤信し、犯跡を隠ぺいする目的で同人を約二一〇米はなれた同市同区五条通一丁目八番地難波津橋まで運び、同橋上から水深四米の高野堀運河に投げ込み、よつて同日午後一一時頃同人をして溺水の吸引による窒息により死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するところ、右は自首にかゝるから同法四二条一項、六八条三号により右の刑に法律上の減軽をなし、なお本件犯行により被害者の貴重な一命を絶つという重大な結果をきたし、被告人の責任はまことに重大であるが、本件はもともと被害者の酩酊による執拗かつ粗暴な行為に端を発し、被告人の憤激を買うに至つたものであること、被告人にはこれまで前科、前歴がなく真面目な生活を送つてきたこと、悔悟の念が著るしいこと、その他諸般の事情を考慮して右減軽した刑期範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中二四〇日を右本刑に算入し、刑事訴訟法一八一条一項但書により原審および当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととして、主文二、三項のとおり判決する。

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